「当たり前」の刷新

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環境教育やソーシャルビジネスの推進のために、はたまた社会の変化の中で生き残るためには、自らの「当たり前」である常識を捨てる覚悟をもって、自らが属する共同体の外にいる人々との対話が必要ではないか。

※本記事は、株式会社エンパブリックの「SDGs/DX トランスフォーメーションを促すリーダーシップ」で学んだ内容をもとに執筆しています。

ソーシャルビジネスの現実

MBAを修了して2か月。私はいま、「5年後・10年後にどうありたいか、そのためにどう人生を生きたいか」というところに直面している、大事なフェーズにいます。「すいぞくかんのひと」としての10年間の歩みが、修士論文という形で結実し、業界へ一定のプレゼンスを確立する準備が整った実感があります。いま、33歳というマイルストンを、文句なしの結果をもって超えることができました。しかし、それで満足して良いのでしょうか?

これまでは、きちんと環境教育の現場最前線に立ちながら、そこへ携わる人々の眼差しを間近で見ながら、様々なものを学ばせていただきました。しかし、ボランティア組織のコーディネーションに携わり、そこから外部の環境教育や社会的活動に関わる人と出会う中で、水族館業界や社会的活動の構造について深く考えるようになり、MBAまで通ったことは、別の記事でも書いてきた通りです。元々数学徒でもあったので、抽象度を上げて構造を考える力がそこで生きています。

熱心にされている、私の周りの環境系の活動家の姿をみると非常に頼もしく、刺激を受けます。ただ実際のところ、私も含めて、そういう努力家の方々には、もちろん本人も結構努力してきた部分もある一方で、その努力が出来るだけの環境が、実は自力で獲得してきたものではなく、幸運にして与えられた部分が大きいということが得てしてあります。

タチが悪いのは、本人にとってはそれが「当たり前」であり、やがて「自分は間違っていない」という大いなる思い込みへと繋がってしまうことです。その結果、得てして周りの人々からは「意識高い系」として疎まれてしまい、ひいては共感できる人同士だけで作られる小さなコミュニティの中で満足してしまうことが往々にしてあると思います。たくさんのソーシャルベンチャーが乱立している背景には、このような構造が少なからず影響しているように感じます。

資本主義を捉える

人々の間での環境教育格差が、結局のところ経済格差と隣り合わせであることは否定しがたい現実だと思います。M1後期でのCSRやFPの授業がきっかけで、昨年2021年以降は、経済や金融の構造へもっと深く踏み込んでいきたいと考えるようになりました。元々金融系SEでしたし、数式にも抵抗はありませんでしたので、本業にてこれから積み上げるべきキャリアステージもかなり明確です。

しかしパラレルキャリアを地で進んでいますので、ひとつの事では物足りない訳です。昨年からは、仕事の外にて、ソーシャルビジネス界隈以外にも、それまでに無縁だった分野のいくつかのコミュニティへ、結構な資金も投下して参画しています。そうやって、大量生産大量消費ではない新しい経済の社会に向かっていくために、つまるところ現在の資本主義とは何なのかを、きちんと実感を持って捉えていきたいと考えています。

現に私自身も、年収は順調に上がってきましたが、とはいえ税金は増えるので手取りはそこまで増えていません。そんなことよりむしろ、ある辺りの水準からは、収入の増加が幸福度の向上へほとんど結び付いていかないということへ、かなり確かな実感を持って気づき始めました。もちろん、大抵のことはお金があれば解決できるのですが、「それで現実に得られる物が何であり、お金によって結局社会にどのようなインパクトが生じているのか」ということへの肌感覚を研ぎ澄ませたいと思っています。

当たり前の常識を刷新する

同時に、私自身の人生における常識も刷新していく必要があると感じています。例えば、私にとっては「家族」という最も基本的なコミュニティの希薄さや脆弱さが「当たり前」のものでした。そのため、私は少なくとも「生涯結婚しない」と心に決めています。ここでその常識を刷新するというのは、あくまでその決心を曲げるということではなく、それ自体が「選ばされた」価値観であることに、もっと自覚的になることです。つまり、人間は「自分の人生の中心を生きている」ようでいて、これまでの出会いや経験から形作られた「当たり前」の中で生かされているに過ぎないのです。

刷新するためには、「自分が間違っていない」と思う「当たり前」を手放す覚悟が必要になります。多くの場合、まず無邪気に「ただいま」と言える家族や実家があり、それが最も根源的なコミュニティとして機能します。家族に依存することのない私の場合であっても、いまとても精神的に安定しているのは、パラレルキャリアを通じて、自分が「正しい」と確信できる居場所(Community)を複数持っているからに他なりません。しかし、社会の変化の中で生き残る可能性を高めるためには、それぞれの居場所を取り巻いている環境の動きを敏感に捉える必要があります。

そのためには、自らの「正しさという妄想」を捨てて、もっと外に出ていき、異なる「当たり前」の存在を知り、向き合うことです。わかりやすいのは、例えば水族館の反対論者などと向き合う覚悟を持つということです。刷新するにしても、そうやって新たな切り口を獲得しなければ、いつまでも同じ思考のループに囚われたままになってしまいます。

いま、私にとっての新しい10年間を生きていくための土台をしっかり作り上げる段階にいます。単なる「お勉強」だけでなく、このような、人との対話をおろそかにすると、痛い目を見るだろうと肝に銘じたいと思います。

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