次の10年間に向けて(後編)

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前編より続く

2回目の修士課程の修了とともに、私の水族館人生が10年間を数えました。これまで取り組んできたことを振り返り、これから取り組みたいことを整理したいと思います。

後編では、水族館業界への関わり方と、そこで必要となる考え方について書きます。

総合格闘技

日本でも、ボランティアが活動する水族館・動物園は少なくないですが、前編で書いたように、その組織をコミュニティとして有機的に機能させるノウハウが必要となる訳です。ところが、水族館の飼育員や学芸員は、当然生き物のプロフェッショナルですから、そのような異分野のノウハウをなかなか持っていないことが普通です。それだけでなく、水族館だって他の企業と同様、1つのビジネスを行う組織体ですから、飼育・経営・人材管理・展示デザイン・IT・物販など、様々な分野の専門性が結集して初めて成り立つ「総合格闘技」なのです。その様々な専門性を、どの水族館も、限られた人材と資金で、知恵を振り絞りながら、なんとかやりくりして運営しているのが現状です。

「なぜ飼育員を目指さなかったか?」と、10年間も水族館にハマり込んだほどの私は時々聞かれます。確かに、熱意を持った私なら、今から生物のプロフェッショナルである飼育員を目指すことも出来なくは無いでしょう。しかしそれよりも、私が既に持っている他の強みを活かした方が、水族館に対してより大きな貢献ができるだろうと考えています。

もともと数学が好きで、かつて高校情報科の教員を志し、挫折した後にSIer(システムインテグレーター)へ就職した私にとっては、IT分野が何を置いても1つの大きな強みです。ご多分に漏れず、所属団体も「ご経験豊かな世代」の皆様を多く抱えるボランティア組織ですから、デジタル技術活用は積年の課題のひとつでしたし、コロナの下ではより一層苦労している部分です。そんな団体の中で、メンバーの活動を記録・集計するシステムは、本職を含めて私が作った初めてのシステムです。はじめはEUC(エンドユーザーコンピューティング)レベルの小さく簡単なものでしたが、時代の変化に対応するために、業務を見直しながら、我が子のような存在であった最初のシステムを手放し、今ではクラウド化して走り続けています。あらゆる使い手の視点を考慮に入れながら、「よいシステムとは何か?」という問題に向き合わせて頂きました。小規模ながら、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の過程を経験させていただいた訳です。本職では競合している同業のメンバーとも、しがらみなく協力できる経験は、とても貴重なものです。

ですから、ITと同時にコミュニティマネジメントの経験も積ませていただいた私が、コンサルや経営の領域へ軸足を移していくということは、自然な帰結です。すなわち、物理学・数学を学びながら水族館に関わり始めた時点で、私がパラレルキャリアを実践していくことは、既定路線となっていたのです。

闘う水族館

コミュニティマネジメントを学ぶ過程で、様々なNPOや社会的企業・ソーシャルビジネス業界にも知り合いが増えてきました。その中で、水族館のもつ社会教育施設としての性質にも向き合い、深く考えていく必要性に迫られました。すると、それまでは「ボランティア組織をどう形作っていくか」ということばかりを考えており、葛西臨海水族園という枠の中に囚われていたところから、日本の水族館業界全体へと興味が発展していきました。すなわち、日本に数多くある水族館で、よりいっそう教育活動を推し進めていくためには、「特に地方の水族館・動物園において安すぎる入館料で運営しつつ、お客様へ何か1つでも「学び」を持ち帰ってもらうべく苦闘している」という現状へ必然的に直面するのです。

そこで、3年前の記事に「3年後の33歳になる年に、「何らかの結果」を出したいと思っています」と書いたとおり、水族館業界に対して、これまで培ってきた強みを活かす形で、何らかのプレゼンスを示すべく、MBA課程において、研究論文をまとめることとしたのです。大変限定的な経営資源で「総合格闘技」を求められる水族館において、外部ステークホルダーとの連携は不可欠ですから、組織間協働を取っ掛かりとする研究の重要性を認識したのです。

そんな時に、我がホームグラウンドである東京都立大学に、ソーシャルイノベーションの研究者がいることを知り、おまけに実際に出会ってみれば私よりもはるかに魚に詳しい先生であったというのは、ちょっと普通ではあり得ない偶然だと思います。そして、調査対象とした各水族館の皆様も、突然押し掛けた私の熱意へ応えるべくご協力くださり、どの方も示唆に富んだ多くの重要な視座をご提供くださいました。さらに、モントレーへ連れて行ってくださった先生からも心強い助言をたくさん賜りながら、私が10年間でボランティアへ投下してきた累計3,000時間(記録上)で見てきたこと全ての集大成を、研究論文という形でまとめ上げることができました。

さらに、都立大MBAへ進学すると同時に、教育とコミュニティマネジメントの領域を強みとして、ソーシャルベンチャーNGOへ1年間参画したことも、絶妙な経験だったと思います。スタートアップの経営の難しさも体感しつつ、いわゆる「Z世代」の新鮮な世界の捉え方へ触れられた貴重な機会となりました。ここでの経験が無ければ絶対に論文中に書けなかった箇所もあります。

いま、3年前の抱負に対する文句なしの結果として、水族館業界の皆様に対する私の新たな「名刺」が出来上がりました。本当に感謝しています。なお、MBAの振り返りについては、別途詳細な記事を書きます。

技術屋の信念

決して必ずしも順風満帆な10年間であった訳ではありません。しかしその間で、私が私の人生で最も大切にしたいと思うものが、はっきりと明確化されました。

それは、「積み重ねてきた時間」です。もちろん単に長ければ良いというものではなく、中身が伴っていることは前提ですが、そのうえで長い経験を積むことの価値を過小評価してはいけないということです。時計など複雑な機械の修理と同じで、たとえ目に見える工作の時間給はわずかであったとしても、その背景に職人の「眼」を研ぎ澄ませるための果てしない経験が無ければ、一見しただけで勘所を見抜けません。いわゆる、心理学の二重過程理論で提唱される「システム1」の思考モードです。水族館の飼育員で言うならば、「生き物の観察」という活動を毎日積み重ねて初めて磨かれる「眼」があって初めて、生き物のわずかな変化に気づくことができ、水族館という施設の根幹である展示を維持できるのです。だから、質をおろそかにする訳ではないですが、高品質なものを生み出す技術屋にとっては、量そのものも1つの大きな財産です。

私の本職において、ITシステム開発の技術畑で育てていただいた経験があるからこそ、あらゆる分野の専門家が知恵を結集しないと成立しない水族館というシステムへいっそう強く興味を持ったのだと思いますし、そこに携わるあらゆる専門家の職人芸に対する尊敬の思いが、いつでも人一倍あるのです。分野や技術が高度かどうかは、問題ではありません。常にベストなアウトプットの提供を目指すために考え工夫しながら、地に足をつけて経験を積み上げてきたことは何だって、他の人に真似のできないコアコンピタンスを形成していきます。

このような敬意は、おそらく受験戦争をくぐり抜けた日本人であれば、それなりに肌感覚で理解できる感覚だと思います。例えば数学であれば、死ぬほど計算練習をしまくったら、たとえ積分のような難しい計算であっても暗算でできるようになります。どんな分野でもよいですが、そういう訓練を逃げずにやってきた人には、魂に刻み込まれていると思います。私にとってこの3,000時間が、次の10年間で新たなものを生み出すための、あらゆるものの基盤です。

そしてもちろん、その職人芸は、マネジメント層がプロデュースすることで生かされるということも大切なことです。しかし技術者は単なる手駒ではありません。このことは、経営のテクニックを、人から教わったり、あるいは天性の感覚で見出したりして、知識として獲得してきた天才肌の経営者が、特に陥りがちな勘違いなのですが……。たしかにビジネススクールなどでの「経営のお勉強」の過程もまた確かに素晴らしいものではあるのですが、その一方でやはり経営者は、「常に従業員の長所を見つけ引き出し、それを最大限に生かして会社全体の収益を上げ、競争優位を獲得すること」のプロフェッショナルを名乗る、血の通った存在であるはずです。これをきちんと理解し実践することが、つまるところD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)のIではないでしょうか。このことも、MBA課程で辿り着いた本質の1つです。

次の10年間に向けて

時代の変化は本当に速く、もはや「Z世代」・「D&I」・「DX」などという、数年前はまだ目新しかった言葉も、既に流行りすぎて死語になりつつあります。この時代において、水族館との出会いがあったから、私は自然とパラレルキャリアを組み上げさせて頂けたのです。最近のプレゼン講演時での私の自己紹介では、パラレルキャリアとして取組んできた分野を、クローバーの葉に例えて、4枚、5枚と増やしてきたように話しています。次の10年では、さらにこの葉を増やしていく動き方になりそうです。MBAはよくゼネラリスト養成と語られがちですが、私が目指している物はそれではなく、確実にマルチスペシャリストを目指しています。

様々な偶然の「巡り合わせ」の重みを感じたいま、私が最初の修士で複雑系を研究していたバックボーンが、およそ私の考え方の根幹をなしていると気づかされています。全ての物事の結果は、必然であり、積み重ねた時間は最もふさわしい結果として反映されるのです。だから、私の為すことを「正解にしよう」などと意識する必要はまったく無く、むしろそれは壮大なる驕りなのです。最近では、もっと力を抜いて、自然の厳しさを全身で受け容れながら生きていこうと思うようになりました。

私のライフステージとして、2年後(35歳)、5年後(38歳)、7年後(40歳)、10年後(43歳)が、それぞれ大きなマイルストンになっており、既に次の目標に向け走り出しています。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

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