公立水族館のソーシャルイノベーション(前編) / 日本の公立水族館

この記事は約5分で読めます。


This article is being translated into English.
2022年3月の東京都立大学大学院MBAプログラム修了に際して執筆した修士論文「公営水族館の持続可能な経営を実現するハイブリッド構造の構築」の、ごくかいつまんだ概要を紹介いたします。とりわけ、日本における水族館の「地域振興」との関係性にフォーカスした内容となっています。

※データはこちらからそれぞれダウンロードいただけます。

研究目的

今回の研究の目的は、日本の公立水族館が、施設を取り巻く地域および世界からの要請にあわせて多様なステークホルダーと関係を結び、互いに独自の価値を創出しあう「ハイブリッド構造」(hybrid structure)の構築過程を分析することで、水族館の持続可能な経営へ、ハイブリッド構造がいかに作用しているのかを明らかにしていくことです。

日本の公立水族館における現状

ハイブリッド構造の理論を用いて、日本の水族館を対象とした研究を行う際に、まず押さえておくべき2つの特徴的なポイントがあります。

日本の水族館が持つ独自の歴史的背景

そもそも日本には、世界的に見ても群を抜いて多くの水族館が存在しますが、それはなぜでしょうか。「水族館学」においては、日本の水族館は、黎明期に欧米から輸入されたのち、欧米とは異なる独自の発展を遂げてきたと考えられています。とりわけ戦後には動物園とともに、日本全国に雨後の筍のように次々と新たな水族館が作られ、今日に至っても、苦しい経営を余儀なくされている施設も少なくない一方で、新たな水族館のオープンのニュースは留まるところを知りません。

少なくとも、四方を海に囲まれた日本人にとって、水族館という存在はその心に強く響いたのだと思います。水族館の水槽を見て「この魚食べたらおいしいかな?」という会話が自然と生まれるのは、海でも川でも魚を捕らえ食らってきた文化が、魂に刷り込まれているからではないでしょうか。(ちなみに、私たちが、ペットが死んだときにその肉を食べないのと同じく、水族館の職員は、飼育している魚を食べることはありませんが、しかし水族館の職員の中にも、魚を食べるのが大好きな人はたくさんいます。)

施設としての水族館を作るためには、少なくとも展示水槽を作る技術と展示生物を維持する技術が必要です。どちらもいわゆる職人芸であり、海外と比較したときに決して低くないその技術力が培われたのも、日本人にとって身近な水生生物に対する興味の深さが、背景のひとつとして存在していると考えられます。

また、1960年代頃からは、人々の環境問題に対する関心の高まりから、「動物の福祉」(animal welfare)「動物の権利」(animal rights)といった考え方が注目されるようになりました。しかし、イルカ・捕鯨問題に象徴されるように、このような点でも、日本と諸外国とを比較したときに、大きな温度差があることがわかります。

公営施設に対する指定管理者制度の導入

焦点を公立水族館に絞ると、2003年以降の指定管理者制度の導入が大きなポイントとなります。指定管理者制度の導入を受けて公立水族館は、民間の企業・団体による活力や創意工夫を生かした自律的な経営による集客の増加を、設置者である自治体から期待されるようになりました。

私たちが例えどんなに水族館の存在が嫌いであったとしても、現在も多くの公立水族館が、例え赤字であってもどうにかして維持され続けているということは、すなわちその施設のもたらす何らかの公益性が、社会的に認められているということです。その公益性とは、教科書的な「4つの機能」つまりレクリエーション・調査研究・自然保護・教育や、そこに留まらない新たな価値であったりします。逆にいえば、指定管理者制度下の水族館の職員たちには、当該施設が持続可能となるように、創意工夫しながら様々な価値を生み出していく必要性に迫られるのです。ここから、水族館を「社会企業家」(social entrepreneur)つまりソーシャルビジネスの担い手として捉えた研究を行っていく訳です。

ソーシャルイノベーション研究におけるハイブリッド構造

「ハイブリッド構造」というのは、欧州の社会的企業に関する先行研究において用いられた概念です。柔らかく表現すると、社会問題の存在に対して、掲げる目標・元となる資本・関係者による所有の3つそれぞれが、特定のものに拠るのでなく多元的となり、それらの下に様々なステークホルダーが互いによい相乗効果をもたらしながら参画し、非営利と営利の間に独自の領域を確立しつつ問題解決を図っている構造となります。

このように書くと、困難(complicated)かつ複雑(complex)な社会課題に対して、ハイブリッド構造の存在は有効な打ち手として機能しそうに見えますが、ソーシャルビジネスに携わっている多くの方の実感に沿う通り、それほど簡単な話ではありません。多様なステークホルダーと関係を結ぶことによって、かえってビジネスが不安定になる危険性も孕んでおり、必ずしもソーシャルイノベーションが実現されるわけではないのです。

そのため、「社会的企業がハイブリッド構造を構築する過程で、いかに多様なステークホルダーとの利害を調整し、合意を形成し、協力を引き出すのか。」そして、「いかに目標・資本・所有の多元性を維持しつつ、生き残り可能なニッチを形成しうるのか。」このような点が、研究の興味となっていきます。

日本の公立水族館をとりまくステークホルダー

水族館が単なる箱としての施設だけではなく、行動主体としての水族館を特徴づけるものの筆頭は、やはりレクリエーション・調査研究・自然保護・教育という「4つの機能」です。そしてそれらを行っていくためには、たくさんの担い手を巻き込みながら、水族館の内部には存在しない知見やリソースを取り入れていく必要があります。そして、ハイブリッド構造というのは多元的な目標・資本・所有を有するものですから、まずはこの「4つの機能」それぞれを通じて、いろいろなステークホルダーとの結びつきを構築していると捉えることができる訳です。

水族館をとりまくステークホルダーとして、以下のような存在が考えられます。

  • 他の動物園・水族館
  • 水産業・漁業関係者
  • 研究・教育機関
  • 自治体および設置者
  • 利用者としての市民
  • 環境保護・動物保護団体
  • WAZA/JAZAなどの協会組織
  • 水族館自身の職員

水族館を、環境の変化に応じて、このようなステークホルダーそれぞれとの利害調整および合意形成を行い、協力を引き出していく担い手として捉える訳です。その際にポイントとなるもう1つの水族館の特徴は、そのコンセプトが、展示というわかりやすく目に見える形を通じて示されるということです。そこで、どのような展示を通じて、どのようなステークホルダーをどのように惹きつけるか、それぞれの施設の状況や周りの環境に応じて分析していくのです。

後編へ続く

コメント