33歳の挑戦

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私にとっては大きな節目の年である33という年齢で、偶然にも10年前に描いていた夢を掴みました。

デジタル・トランスフォーメーション

33歳になりました。感慨にふける暇もなく、10月から本職と大学で、人生で最もエキサイティングな経験をさせてもらえることが約束されました。

書ける範囲で書くと、クライアント企業のプロジェクトの一環で、データベース初心者を含む数百人の社員へ、Accessなどの使い方をマスターさせ、実業務に耐えるEUCツールを自力で作れるようにする、スキルアップ研修の講師という、責任重大な役割を担うこととなりました。DXがバズワード化している昨今、単なるシステム刷新や業務改善だけではなく、1人1人のデータリテラシーひいては市場価値向上を目指すこのような取り組みは、非常に本質的で意義が大きいと思いますし、そこへ携わらせて頂けるということで、非常に楽しみにしており、全力で臨みたいと思います。

計画された偶発性

単に、私のこれまでの金融系エンジニアとしての実務経験を買われただけで十分光栄です。それだけでなく、埃をかぶったまま日の目を見ないであろうと思っていた、高等学校の情報科教員免許というカードを、私が持っていたことは、果たして偶然でしょうか。かつて10年ほど前、情報科の教員を真剣に夢見て、結果挫折してきたことは確かに苦い思い出ですが、そういう過程でたくさんの先生から学ばせてもらったものは絶対に裏切らないし、案外何かを引き寄せるきっかけになるものです。「どうして水族館ボランティア始めたんですか?」ってよく聞かれますが、実はそのルーツがここにあります。私が学部時代に、2回卒業できるほど、物理学専攻でありながら数学や情報科学を好きなだけ勉強させてもらう機会を頂いた過程で、市民活動を通じて社会へ還元したいという動機も、金融業界のキャリアへ身を投じる覚悟も、自然と湧いた訳です。

巷では大学院入試の季節です。私たちがいま積んでいる努力って、何のためのものなのでしょうか。前回も書きましたが、それが将来に結び付くかどうかだけを考えるのは止めたほうがいいのかもしれません。むしろ、「いまの自分が本当に楽しいと思えること」かどうかが、先行き見通せない時代に大切にした方が良い軸の一つだと思います。そういう領域で、地に足をつけた仕事を着実に積みきる経験は、将来きっと何らかの形で生きてきますし、どちらかと言えば活かせる機会が自然と近くに来るものです。たとえ、思いだけを先行させ、わかりやすい結果だけを追求するようなやり方を取っても、短期的にはうまくいくのかもしれませんけれど、システム作りでのゴマカシなんて瞬く間に露呈しますし、長い目であまりよい結果には結びつきづらいでしょう。結局のところ今回の案件だって、成果が実ったかどうかなんて、私がプロジェクトからいなくなったずっと後になってようやくわかるものなのです。

解決可能な問題の定義

この1年は、振れ幅だけでなく、加速度の微分がハンパなかった年でした。仕事、コミュニティ、家族など、それぞれとの向き合い方で、本当に重い現実を直視した、誇張なしに憎しみに溢れた1年でした。そんな失意の中、あるきっかけで今まで誰にも見せてこなかった真相を開示し、結果として、私の努力しかたの異常性にも繋がる、私が抱えていた「生きづらさ」を解決可能な問題として定義したことは、大きな一歩です。私は自らの過去のライフチャートを、いろいろなところで描いてきましたが、私は人生の前半について毎回必ず、人ウケの良いフィクションを語っていました。講師にとっては、受講者の人となりを知るために早めにやらせたくなるのが人情ですが、いかに他者による洞察が浅はかで当てにならないものかを再認識しました。

後期は、あまりの不安定な精神状態に、休学しようかだいぶ迷いましたが、過去15年間の集大成として、数学×ファイナンス×ITの科目へ単身で挑戦しようと思います。テキストが、学部時代にファイナンスを教わった先生の本という時点で、血が騒ぎました。修論を仕上げた後も、スキルを満遍なく再投資してさらにベースアップしていく1年になります。内に秘めたるアツさは健在で、涼しい素顔で握り込んでいる拳からは今にも血潮が滴り落ちそうです。今年もよろしくお願いいたします。

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