問題の構造を捉える

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私たちY世代は、Z世代をけし掛けて都合の良いように利用してきた存在として、2030年頃からAlpha世代に石を投げられる存在になるかもしれないのではないか?

ESGは価値を生み出すか?

大学の授業で、「ESG対策は企業価値向上に繋がらない」という、EとSで生きてきた私自身の10年間を、まるで全否定するかのようなテーマで、2回もグループ発表してきました。論拠を集めるほど、自分の水族館研究にも、別の発表で激論したダイバーシティ&インクルージョンの話にも、議論を広げる必要が出てきました。その結果、「正解なんて無い。きれいごとだけが経営学じゃない!」と言い切り、「なぜ私たちは修論を書くのか?」という本源的真理を突きつける着地点へと辿り着くことができました。本当にめちゃくちゃ楽しかったです。またやりたい。

論点としては、

  • インパクト評価とインパクトウォッシュ
  • テクノロジー革新による企業活動の透明性確保
  • 一夜にして主義主張をひっくり返す、空虚な日本人の人間性
  • 動物保護・環境保護運動などを取り巻く様々な政治的利権
  • マルチステークホルダーによる新たな価値の注入

…などという「現象」に対して私たちは自覚的になること。そのうえで、人間に託された最後の砦である倫理的なシステム1思考に基づく、投資活動・企業活動・消費活動になることこそが、真に必要ではないのか、ということです。正当性なんて、いち個人や組織体がスタンドアロンで作れるだなんて、思い上がりも甚だしい。トップエグゼクティブの崇高な理念などお構いなしに、集団特有の社会が正当性を作り上げ、社会が企業や活動家へ価値を「注入」していく力学こそが、組織の目的を刷新しながら、持続的に駆動させてきたのです。

築き上げた資産の刷新

数学・経営学・音楽(アート)。私にとってこの3つは、絶大の信頼を置くかけがえのない資産で、これから水族館や環境教育の世界で闘っていくにあたって、これらを持ち合わせていることは本当に心強いです。

MBAに入るまでは、もはや誰もがSDGsやESGの必要性を認める今日において、「良いことだからうちでも取組みましょう」という発想による一転突破でした。今回の発表では、その態度があまりに短絡的で、ある種非常に危機的ですらあると断じて、決別したのです。このような可能性に気づけたのは間違いなく、研究の中でソーシャルビジネスの構造を捉え直したことによる大きな収穫です。そのうえこの収穫は、誰か特定の人・勢力を拠り所とせず、これを読んでいるあらゆる方々から影響を受けたことのトータルの結果なので、全ての皆様に感謝です。

ですので、ディベートの勝敗なんてどうでも良く、むしろ「私がこの発表から、共にこれから社会を牽引していく学友に対して、どれだけ新鮮な視座を提供できたのか」こそが、私の将来における存在意義を結論付ける重要な観点でしょう。思い上がり無しの客観的な自己評価として、程度の物足りなさはあるものの、間違いなく、同じ講座を受けていた他の誰にも出せないバリューを提供してきた自信があります。少なくとも、10年間EとSの世界で積んできた実績は、そうそう裏切らないでしょう。その下地から紡ぎ出される価値を、周囲の人と分かち合う過程を経て、着実に私自身のこれまでの価値観を棄却し、新たなステージへと刷新している2年間になっています。

「問題とは何か?」を問いなおす

そうした刷新の最たるところは、つまるところ修士論文という、問題をとことんまで外在化させることによる価値だと思います。その結果、最近強く危機感を覚えるのは、極論「私たちY世代は、Z世代をけし掛けて都合の良いように利用してきた存在として、2030年頃からAlpha世代に石を投げられる存在になるかもしれないのではないか?」という1つの問いです。私はここ数年Z世代の活動を応援してきましたけれど、果たしてそのプロセスは本当に若手の将来を明るくするものだったのでしょうか?むしろ私利私欲のために、若手の熱意と覚悟を利用していただけでは無いのでしょうか?それこそ、インパクトウォッシュの最前線なのかもしれない、そして私たちこそがそれをリードしているのかもしれない。

自らが囚われている思考のパターンや価値観に囚われないこと。「正しいとされる」ことが容易に移ろう世の中で、絶対的な規範を追求することの幻想に気づくこと。それこそが、ダイバーシティ&インクルージョンのはじまりなのかもしれません。

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