社会的インパクト評価の鍵を握るのは、プロ意識以外の何物でもない。
挫折
気づけば約半年ぶりの更新となりました。
この3月で、約1年間携わらせて頂いた、キャリアデザインのNGOを離任することとなりました。私にとっては結構大きな挫折です。
水族館のボランティア運営に携わり始めてから8年間、(1)毎年10月の文化祭、(2)冬の新人募集、(3)そして3月の総会とで、年度の3Qと4Qが白熱するのが恒例行事となっていました。
今年は、もともとMBA進学を機に重い仕事を抜いていただいてはいたのですが、コロナを機に(1)(2)がなくなった一方で、(3)の初オンライン開催と、本職で未経験分野のプロジェクトが重なり、蓋を開ければ例年に比べて2.0倍ぐらいエキサイティングな4Qとなりました。
その一方で、キャリアデザインNGOの離任理由は、3Qの時点で、ひとえに私の呆れるくらいの未熟さが原因で、かなり大きいトラブルを起こしてしまったことです。他のメンバーに責任は一切なく、とくに副代表・代表と、運営の若手には本当に申し訳ないことをしたと思っています。それに加えて単純に仕事・学業との両立が原理的に難しく、コミュニケーションもままならなくなれば、これ以上関わるのは害悪以外の何物でもありません。
以上が重なった結果、自分のやりたい研究が致命的に進んでおらず、新年度の地獄を前に、大いなる覚悟を迫られている状況です。それでも、ようやくブログを書けるほどの心理的余裕ができたので、いったん今日の時点で、私が考えていることを言葉にしておきたいと思います。
プロ意識
私が新卒入社した会社で、上司から叩き込まれたのは、「プロ意識を持つこと」・「自分の頭で考えること」の2点です。別にこれに従う必要はないとおもいますが、私の経験則では、間違っていないどころか、かなり本質をついていると思います。
早い話、成果だとか業績を示す数字はいかようにでも「作る」ことができます。それで出世したり上場したり、巨額の出資を受けたりすることも、実際簡単だと思います。優秀な人ほど、それが出来てしまいます。ファイナンスや会計・簿記に限らず、土壌学や獣医学などの専門知識があればあるほど、利益なり評価なりの数字が、中身を伴って血が通っているものなのかどうか、見通せてしまうはずです。
自分だけが「このまま放っておいたら、絶対に良くない結果に至る」と気づいたとき、それを報告するか、見なかったことにするか、という判断は、案外難しいものです。たいていそのような場合、どちらを選んでも茨の道です。この意味を理解できるのは、実際に手に職をつけて、大きなお金を動かす中で、自分の仕事が人の人生や命を大きく左右することの責任を、身をもって実感したときだと思います。
たしかに、ジョインしていたNGOも、教育という領域へ踏み込む、ものすごく責任重大な仕事です。環境保全や教育という事業というのは、とても意義が大きい一方で、すごく効果のごまかしの効くものです。いくらでもロジックモデルを「作り」、そして「自分たちはこれだけの成果を出している」と盛ることのできるビジネスです。だから、例えばメンバーが結果として希望の仕事に就けなかったとしても、「本人の努力が足らなかっただけ。私には関係ないや。」で済ませることもできます。そのくらいの覚悟をもって運営に携わらないと、何にも気づけないことを実感しました。自分の実力を、過小に評価せず、かつ過大に評価せず、見たくない事実にも、客観的に向き合う姿勢が試されました。
スタッフに向けた激励
私のやり方が正しかったとはこれっぽっちも思っていませんが、少なくとも最後まで、自らの誇りと矜持をもって、代表そしてスタッフの将来の仕事への期待を込めて、いろいろなことを伝えてきたつもりです。
私の率直な見方では、NGOで2022年6月に置いている事業目標のマイルストンの達成は非常に難しいと思っていますし、もし数値目標を達成出来たとしても、真に「目標へリーチした」と心から納得することは到底難しいだろう見ています。150という数字の難しさを10年弱にわたって、私の人生で共にしてきたからこそ言えることです。そのため、団体としては、まだ立上げフェーズで、直面する課題も多く、着任当初は大きな戦力として期待されていた私が離任して、何もしてやれない自分の至らなさを悔やんでおり、非常に申し訳ないと責任を痛感しています。
なぜこの期に及んで、私はこんな記事を書いているのでしょうか。私の言葉を一蹴したいと思う気持ちは自然なことです。スタッフの心を逆撫でするような厳しい発言、しない方がよほど波風立てず、もっと明るい気持ちで送り出せるでしょう。スタッフから私に対する印象が、これ以上悪くなることもないでしょう。それをわかっていて、なおも記しているのは、私はきっと、それだけ皆さんの可能性を確信しているからなのでしょう。もし仮に私が、スタッフにとって耳障りの良い言葉だけ残して去るとすれば、それこそ「私がどうでもいいと思っている」ことを示すことに他なりません。
代表が、自分たちが、私が、人生を賭してでも実現させたいと思う「共存」の意味とは何なのか。どうすればできるか、血を吐く思いで考え抜いて、知恵を絞りきったうえで、相手から本音をぶつけられることへの恐怖から逃げず、お互いに傷を負う覚悟で全力で向き合えば、ひょっとすれば可能性はあると思います。
添書
今回は、主としてNGOメンバー向けの内容となりましたが、水族館業界も基本的には位相同型だと思っています。
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